「美学」なんて昭和な言葉だな・・・
と感じたので「重なるリンク」と書きなおしてみるが・・
う~ん。この言葉も既に古さを感じさせるなあ・・
えっと・・・
イマドキの言葉にすると
「重ねフェチ」・・・ううん・・これは更に古いな・・
「重ねオタク」を短くして「重ヲタ」・・・・う~ん・・違うなあ・・・
ええい!やっぱり心に正直な言葉でいこう
「重なりのエクスタシー」。
・・・・これ一番しっくりくるってね(笑)
先日 八百万の神に呼ばれてヨレヨレと出雲大社に出かけた際
一番感動したのが石見銀山で出会った大名屋敷後の納戸の中であった。
「美しく仕舞う」と題された部屋には
きっちりと什器の 重ね!重ね!重なり!パラダイスが繰り広げられていた。
これを見て 殆どの人が「ふううん」と言って通り過ぎるだろうが
私は感動の涙がこみあげてきてゲホゲホむせてしもたのだ。
下から上までぎっしりと重ねられた 食器の箱・箱・はこ・・・ どの線にもだらしなさがない 先人の女たちに感服 |
お茶会の宴のあとに残された
大量の食器を仕舞う事の難儀を体験しているので
きっちりと美しく仕舞われた食器の山に透けてみえる
先人の女たちの所作に感動するのである。
小泉八雲さんが
「日本の女性の所作は世界に類がないほど美しい。」
といった趣旨の文を残しているのを読んだが
きっとこの事だろう。
古の女たちの知性や苦労や慎ましい暮らしぶりが蘇る。
私の場合、それが3Dではっきりと映像化され
なんと音まで再現されるので困るのだ。
(石見銀山の苦役石工の話には1滴も涙が出なかったのに・・)
大量の漆器や飯器や食器を倉庫から担ぎ出す→
食器1つずつをとぎ汁などで洗って干す→
使う→
水に浸けて汚れを浮かして丁寧に洗う→
数日間乾かす→
水滴などのシミをふきながら1つずつ丁寧に紙にくるむ→
重ねて→箱にしまう→さらにその箱同士を重ねて仕舞う。
引きだしの中にも ほらこんなに・・・ これを真似れば我家も かなりスッキリするはず・・。 |
まだ湿ったままで箱に押し込めると
次に出したときにカビだらけ&シミだらけの食器と再会することになる。
そのカビは「味」として鑑賞にも堪えない代物・
漂泊しても取れない汚れとなって使い物にならなくなる。
数の揃った客用のお椀の数かず 塗りのお椀が見事です。 |
きっちり納まる大きさに造ってあるので
緩衝用の紙をちょっと丸めたままで重ねても
箱のふたが閉まらない事になる。
めんどくさくなってぎゅうぎゅうと押しこめると
箱の中から「キャ~」と悲鳴と共にメキメキと嫌な音がする
無視して力まかせに蓋をしても
微妙に蓋が開いてしまって押し入れの中でうまく箱同士が重ならなくなってしまう。
どの体験がどうやって頭の中で発酵して「重なりは美しきなり」の概念に
たどり着いたのかは不明だが
いつしかお皿を作る時は極力綺麗に重なるように心がけるようになった。
さあ、今週も重ねる仕事に精を出そう
手捻りの皿も重なるように作る 左奥の皿は機械ロクロで作ったものだが コウダイを低くして綺麗に重なるようにした |
これも重なりのエクスタシーなのだ。 え?どこが? ハイ。色の重なりです。 白い粘土の素焼き肌+薄いブルーのガラス釉薬=青み掛った海の色 茶色い粘土の素地+べっ甲色の釉薬=深みのある茶色 さらにその上に黄色を滲ませて・・・ と釉薬の色を重ねて深みを出します |
これも釉薬の重なりの愉しみ 焼く前の色は焼きあがりの色と違う。 例えば一番最後に施している釉薬は 灰が材料なのでグレー色をしているが 焼くとビードロ透明になる。 計算通りにいくと 青が綺麗に滲む茶碗になるハズなんだけどなあ~ 焼きあがりを想像しながら 色を重ねてゆくのでしたとさ |
この3つに釉薬を施すだけで 半日すぎてしまう。 梅雨の半ばには完成させよう。 |